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泗川で有名な南逸臺海水浴場に行ってきました。日が暮れる頃だったので夕日がとてもきれいですね。同じ泗川の實安の夕日も有名ですが南逸臺の夕日も本当に美しいですね^^

南逸臺の紹介
 泗川市内の中心街から3.5Km離れている香村洞に「南の土地から景色が秀でる場所」と呼ばれる南逸臺海水浴場がある。南逸臺と言う名称は新 羅時代末期の偉大な学者であったチェ・チウォンがこの場所を通りながら見た素晴らしい景色に惚れ南逸臺となずけたと言われている。ここ  は、三つの方角から低い山で囲まれており、各方角奇岩怪石と樹林で覆われていて美しい景色を成しており質が良く柔らかい砂と澄んだ水で 有名だ。ここの白い砂浜は、昔から近隣の婦女子たちが砂風呂を営んでいたことで有名で海水浴場がオープンした後は、毎年釣り人たちが増 加しており、また周辺ではクジメ、メバルなどの魚がたくさん釣れるため釣り場が立ち並んでいる。



遠くの方に南逸臺の名物、ゾウ岩が見えますね。なぜゾウ岩と呼ばれているのかわかりますか???



もうお分かりですよね?そう、ゾウが長い鼻を使って水を飲んでいる姿に似ていることからゾウ岩と呼ばれています。本当に良く似てますよね?^^



南逸臺海水浴は、それほど広くはないですが様々な光景が入り混じっており「南で一番の景色」と呼ばれるほどです。なおかつ傘下協定がなされていて正規の料金よりも不当に高い料金を取られることもない場所として有名なので皆さん揃って南逸臺にゾウ岩を見に行きましょう~!!
# by gsndtour | 2011-02-18 11:35
最近、「情報化村」という言葉を多くの人が聞いたことがあると思います。しかし、最近様々な場所で耳にする「情報化村」とは正確にどのようなものなのか、一体どんな情報を提供してくれるのか、その実体を知る人は少ないと思います。ではその「情報化村」について触れてみることにしましょうか?!

「情報化村」公式ホームページで紹介する情報化村とは?
 「情報化村造成事業は、農村、漁村、そして山村のように情報化に疎外された地域に超高速インターネットの利用環境の造成と電子上の取引な ど情報コンテンツを作り、地域住民の情報生活化を誘導し実質的な収益を得ることで地域経済の活性化を通し、発展させる事業です。」と記載 されています。
 簡単に説明すると国家が直接、支援し、販路の開拓が厳しい農漁村の人々の販路をインターネットというメディアを使って開拓してあげよう というものです。


                 <情報化村事情>

そして 咸安郡からは月村村と 漆北クァス村の2つの村が情報化村に指定されました。特に月村村の情報化村のホームページでは韓国国内で冬が旬のスイカの50%が自慢な月村スイカを自慢としています。一般のスイカと種なしのスイカにまつわるおもしろエピソードも目にとまりますね^^


             <咸安郡月村村情報化村サイト>

漆北クァス村情報化村のホームページでは村についての紹介と自慢だけでなく果物紹介についての情報も細かく説明しています。それとドライブコースと散歩道などまで様々な情報が詰まっており、体験村としての準備も着実に進んでいる印象が見受けられます。


             <漆北クァス村情報化村サイト>

咸安郡は、情報化村事業に参加しているだけでなくQRコードを利用した観光情報を日本の観光客たちに広報しています。


             <咸安QRコードマーケティング>

上のキャプチャー写真は、「エルビーズのQRコードマーケティング」のブログに記載されている 咸安 QRコードマーケティングに関するのポスターです。良く見てみると 咸安 では日韓両国をすべて一緒にするモバイルウェブサイトを作って運営しているようです。
詳しい内容については下のリンクをクリックして見て下さい。^^

http://blog.naver.com/tabikorea/120121443448

情報化村とQRコードマーケティング、スマートメディア時代を歩んで行く 咸安郡を見ながら大韓民国がIT最強国というのを改めて感じることが出来ました。
慶尚南道のすべての市、郡が 咸安のように最先端として広報されることになったらどうかと思います。これからもいつも一歩一歩進んで行く 咸安!!!ファイトです!!!
# by gsndtour | 2011-02-17 16:28








慶尚南道山清郡丹誠面沙月里にある木綿始培遺地は高麗時代末期、恭愍王の時代に 文益漸が韓国で初めて 綿を栽培した場所である。 文益漸は、恭愍王12年(1363)元の国に行く使臣の一人として出向き、帰国する際に筆軸に綿の種を入れて持って帰ってきた。
義理の父であるチョン・チョンイクと共に実験栽培を始めたのだが、初めは栽培技術をあまり知らず、やっとこさ1本を生かすことが出来た。それから3年間の努力の末に成功し韓国国内に綿の栽培を広めることが出来た。その前には絹織物、カラムシで織った布、麻布などで衣服を作り着ていたため一般人たちは寒さに凍えながらの苦労が多かった。しかし、綿の伝来で韓国の衣服の歴史に一大革命を巻き起こし、庶民の生活に大きな影響を与えた。
木綿始培地の周辺には今も祖先の魂を受け継ぐために毎年、綿を栽培している。木綿始培地は、高麗時代の末期 恭愍王の時代に“衣類の革命”を起こした 文益漸が韓国国内で初めて綿を種を埋めた場所で今は綿畑と展示館、国から 文益漸に与えられた富民館などが見れる。木綿始培地を見て回った後、現在仏教の代表である禅僧ソン・チョルスの生家と 劫外寺 を見るのも良いかもしれない。休みを利用して子供たちと木綿始培地の全景を見て、歴史も勉強しながら忘れられない思い出となる体験をしてみよう。
# by gsndtour | 2011-02-16 12:26